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台湾旅行に慣れてきたら《彩虹眷村》でアートを楽しむのもアリ♪

台湾に行ったらぜひ行ってほしい話題スポット「彩虹眷村」。カメラ好き、写真好き、アート好きにとてもおすすめな観光スポットです。壁に独特なタッチの絵が描かれており、そこに訪れる多くの人を魅了しています。「彩虹眷村」について詳しく紹介します。

この記事を書いた人: taiwan
taiwan
2017年01月30日

『眷村』とは

観光名所となる前は『眷村』という村の名前でした。
眷村自体が台湾という国の所有する土地なのです。
 
 
台湾独特の「眷村」(一般的には軍人村)というエリアですが、第2次世界大戦後、蒋介石率いる国民党軍が台湾に進駐し、統治を始めた際に60万人が移住してきたため、その人たちが暮らす住宅が必要となりました。

官僚、軍人、公務員、教師、地域と5種類にわけて、台湾各地に集合住宅を建設しました。そこには、外省人とその家族が暮らしています。

こういうエリアは国民党が元からあった建築物を利用し、集団住宅にした場合もありますが、多くは新しく都市の郊外に建てられたもので、小さな急ごしらえの平屋のような建物が集合した場所です。この住宅、外省人とその配偶者、直系の子孫が住む権利を有しますが、土地は国防部(国)のものなのです。

老朽化し、衛生面でも問題があり、住人も減少し、治安が悪くったという理由で、20年前から多くは取り壊され、国宅に建て替えられました。

 
日本ではこのような地域や村は存在しません。台湾独特のスポットだったのでしょう。
今でも元官僚、元軍人などずっと眷村に住み続ける人達がいます。
現在では低価格で住めるマンションなどが建てられていたりします。
 

現在は鮮やかな絵で覆われた地区に!

 

ある一人のおじいちゃんによってそれは作り出された

このある一人のおじいちゃんというのは、黄永阜さんです。
黄さんは香港出身ですが、国民党軍に志願し台湾へとやってきたそうです。
この黄さんが眷村を鮮やかな絵で覆われた虹の村を作り出したのです。
 
 
眷村を明るく鮮やかな世界に一変させたのが、1949年に台湾にやってきた元軍人・黄永阜さんだ。黄さんの住む村は「寂しい」なんて言葉は全く合わない!村中が、赤や黄色など目に染みる鮮やかな色でいっぱい!これは全て黄さんが描いたものだ。

2008年8月のある日、87歳だった黄さんは突然、筆とペンキを持って村中の壁や道に絵を描き始めた。その理由は「退屈だったから」だそう。その絵は一度見たら忘れられないほどのインパクト!黄さんの絵はクチコミで広がり、多くの人が訪れるようになったそうだ。

ところどころに散りばめられた「感恩」、「平安」、「大家有福気(みんなが幸せでありますように)」という言葉。見に来てくれた人の幸福を願って書いているという。この美しく黄さんの思いがつまった村は「虹の村(彩虹眷村)」と呼ばれるようになった理由だそうだ。

 
眷村が彩虹眷村と呼ばれるようになってから、まだ10年も経っていません。
しかし、彩虹眷村の建物の壁にはカラフルで彩り豊かな絵が描き施されているのです。
絵以外にも文字も絵の具で壁に書かれているので、それに注目して見るのもおすすめです。
 
 
黄さんは93歳のアーティストといえますね。
今でも現在進行形で壁にさまざまな絵をカラフルな絵で描き続けています。
 

「彩虹眷村」オリジナルグッズもかなりいい!

 
オリジナルグッズも販売されています。
ここでしか手に入らないものなので、買っておいて損はないでしょう。
日本にいる家族や友人へのお土産として贈ることもおすすめですよ。
 

「彩虹眷村」の小道を入っていくと、小さな売店があります。この売店では、おじいちゃんが描いた絵を基にした様々なオリジナルグッズを買うことが出来ます。人気はポストカード。ポストカードにある柄がどこに描いてあるのか探すのも楽しい♪

その他にも、マスキングテープはすごいインパクト!Tシャツや傘まであります。日本で着ていたら、誰も90歳過ぎのおじいちゃんが描いた絵だとは思わないでしょうね

 

 

奇界遺産・彩虹眷村は台中のどこにあるのか?

 

場所は台中の台中市の成功嶺の東側、南屯区の長春エリアです。

嶺東科技大学の近くなので、そこまでバスで行って歩いていくか、タクシーで彩虹眷村と言えば連れて行ってくれるでしょう。

実際にその日もタクシーで訪れていた観光客を何人か見ました。

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